くやしいけれど 要らない過去で この私はつくられてます。
わたしは後悔のできない人間です。
人間誰しも嫌な思いをしたとか枕に顔をうずめてジタバタしたくなるような経験とか、あるいは首を絞められたとか顔面殴られたとかそういう記憶があるんじゃないかとおもいます。
バタフライ効果という言葉がありますが、実際ちょっとした、たとえば今日、赤い靴を履くか、黒い靴を履くか、りんごを食べるか、オレンジを食べるかといった瑣末なことでわたしの未来は大きく変化し得るのではないかと、変化してきたのではないかと信じています。
それが悲惨な経験であったとしても、現在の自分に至るまでに必要なものであったことに変わりありません。
なので現在の自分自身の存在を心から愛せるなら、どんな醜い記憶でも『よい事象であった』と言い切れるのではないかとおもいます。
わたしはわたしの首を絞めたひとをあまり責めていません。
なんだかんだ言って、わたしは後悔のできない人間です。