『疲れてきたのでそろそろ死のうと思います。』
死ぬとか死にたいとかについて、
まずわたしなんかは脳みそが足りてないので いくら冗談めかした「死にたい」も「鬱だ」も真顔で大丈夫?ねえ大丈夫?って聞き返すくらいには空気が読めなくてですね、
しかしどうにも冗談でそういうことを口に出す勇気はわたしにはありません。
普段からメンヘラというか明らかにアタマの螺子の飛んでる振る舞いばかりしているお陰もあって
もし精神科医に死にたいなんて洩らした日には間違いなく「入院希望」と受けとられますし身内も然りです。
そもそも死にたいって言ったところで打ち明けたい過去も相談したい悩みも存在しないので、わたし自身もわたしに死にたいなんて言われちゃった人もどうしようもなくなんだか不幸をまき散らすだけのように思われます。
結局のところ自分にとって最善の策は、ぬいぐるみか鏡に向かって死にたい死にたい呟くことであって、正直それがさらにキチガイじみてて自分自身軽く
あっ妙なこと考えてたらわりと本格的に死にたくなってきましたわ
わたし食べたもの全部書き出したり日記つけたりトイレの回数までメモしたり睡眠時間やら体温やら血圧やら どうにか心身の状態をコントロールする術を、あるいはリズムというか対処法の模索というか あくまで精神的負担にならない方法で、そういうものをここ数年やってきたわけですが
やっぱり理由のないクソみたいなユウウツ感っていうのは存在しますね
あたりまえですけど。
「ろくに身構えもしていない平穏なはずの日常に突如現れる自分の影」と呼んでますが、人生のスパイスくらいの認識な上、数年くらいのスパンで見た場合、たまには鬱々とするのもいいなくらいにおもっているので特に問題はありません。
まわりの人間からするとどうしようもない精神病患者に映るそうです。
申し訳ないです。